2013年10月



ーー−10/1−ーー カーオークション 


 15年間でおよそ16万キロ走った我が家の車、日産マーチ。まだ問題なく走れるが、所々に錆びが発生し、細かい所で動きの悪い部分も出てきた。家内が、自分の定期預金を下ろして買い替えようと言いだした。お目当てはダイハツ・タントの、できれば新古車。

 馴染の自動車屋さんに相談したら、オークションで探すのが良いと言われた。自動車販売業者のみが利用できる会員制のオークション。全国各地に会場があるらしい。以前は会場まで出かけて競りに参加したそうだが、今ではインターネットがリアルタイムで繋ぎ、自動車屋さんの事務所のパソコンで入札できる。

 そのサイトを見させて貰った。東京や名古屋といった、大きい会場では、一回に一万台以上の出品があるとのこと。10ヶものレーン(競り場)があり、同時進行で次から次へと入札、落札が行われる。その早さが凄い。一台の車につき、所要時間は数秒といったところ。まるで魚河岸や、青果市場の競りのようなスピード感だが、扱っている品物はサンマや大根ではなく、一台数十万円から数百万円の自動車である。

 ネットだから、現物を確認することはできない。その代わりに、国家資格を持った査定員によるランク付けが提示される。それを信用して判断するのだが、まず間違いは無いとのこと。そのランク付けによって、基本的な性能や傷の有無などが分かり、それに製造年式、走行距離などの情報を合わせて判断して、応札価格を決める。その価格についても、業界には赤本なるものがあり、2ヶ月おきに発行されるその資料で、およその相場を知る事が出来る。

 実際にオークションに立ち会った。もちろんパソコン入札である。オークションにかけられる車は、数日前からリストに載り始める。その中から、自分の希望に合ったものを選び、詳細情報のページで内容をチェックし、的を絞る。前日になると、競りの予定時刻が表示される。当日は予定時刻の少し前に事務所へ行き、スタンバイする。そして競りは、先に述べたように、数秒で終わる。

 自動車屋さんは慣れているので、いろいろアドバイスをくれる。慌てなくても、何度かやるうちに必ず希望の車が手に入る。だから、落札を焦って、高い値段を入れてはダメだと言う。確かに相手のある事だから、同じような物件でも、落札価格はかなり上下する。それは理解できるのだが、二度三度と出向き、入札を試みても、落とせなかったり流れたりを繰り返すと、弱気になってくる。そこでまた慌ててはダメだと言われる。中古車と言っても、私が作るテーブルなら2、3脚買える金額である。自動車屋さんとしても、慎重にならざるを得ないのだろう。

 ついに、7度目の入札で希望の車を落札した。私と家内と自動車屋さんの三人が、パソコンの前で、手を取り合って喜んだ。6キロしか走ってない車だから、ショールームの展示車だったと思われる。新車と呼んで良いグレードの物を、かなり安くゲットできた。しかも、家内が希望した色の車である。自動車屋さんが力を尽くしてくれたおかげだが、この買い物はラッキーだったと言えるだろう。

 それにしても、中古車業界の規模の大きさには驚かされた。裏を返せば、日本の自動車産業の凄さである。国産車は出来が良い。私もこれまで何台か使ってきたが、故障して困った事は一回しかない(ファンベルトの切断)。今回手放すマーチも、16万キロ近く走って、故障は一度も無かった。この品質の高さが、中古車市場を支えているように思う。オークション会場に行くと、東南アジアなどのディーラーも多く見かけるという。彼らなら喜んでこのマーチを買うだろう。

 膨大な量の車が溢れかえる中古車市場。これは、物を大切に使う文化なのか、それとも逆なのか。





ーーー10/8−−− 結婚記念日の一泊旅行


 
10月4日は、我が家の結婚記念日。今年は33回目になるが、その前日に突然家内が一泊旅行へ行きたいと言い出した。その時には既に、ネットで格安の旅館を調べてあり、準備を整えていたもよう。

 これまで、結婚記念日に外食に出たことはあったが、泊りがけと言うのは、33年間で初めての事。ここ数年、夫婦で外出することが増えてきた。子供たちが家から離れてから、家内の時間が自由になり、一緒に行動しやすくなった。それも一つの理由だが、それだけではない。年齢が進み、人生の残りが少なくなってくると、楽しい事は、味わえるうちに味わっておこう、と言う気になる。そんな事を言うと、大袈裟に感じるかも知れない。まだ十分に働けるのだから、楽しみ事は後回しにしておけと言われるかも知れない。しかし、もし楽しみを先送りにして、来年にでも二人の内のどちらかが居なくなれば、きっと後悔するだろう。周囲の状況を見ると、その心配は、荒唐無稽とは言い切れない。もうそんな年齢なのである。

 このたび新たに入手した自家用車で遠乗りをしたいという気持ちもあり、出掛けることにした。目的地は、上越市の海岸にある温泉旅館。夏の海水浴シーズンなら繁盛するのだろうが、この時期の平日となると、客が少ないのだろう。お得な宿泊プランが、サイトに提示されていた。

 日本海へ出る時は、国道148号線、白馬経由で糸魚川に向かうのがいつものルートである。それも良いのだが、今回は19号線で長野市へ向かい、信濃町を抜けて上越市へ入ることにした。急ぐ旅ではないので、高速道路は使わない。午前中に、気にかかっていた仕事を片付け、正午前に家を出た。

 今にも雨が降りそうな天気だったが、そんな事は気にならない。景色は見えなくても、長距離を移動し、それを地図の上で辿るだけで楽しい。そんな、小さなことに満足する旅行。

 5時前に旅館に着いた。部屋の窓から、近くに海が見えた。夕暮れが迫っていたので、休む間もなく海岸に向かった。西の空を覆う夕焼けが綺麗だった。砂浜には、私たち以外誰もいなかった。人がおらず、空いていれば、とりあえず幸せという私なので、この状況には十分に満ち足りた。山に囲まれた場所に住んでいる身にとって、海を見る機会は、滅多に無い。たまに海を目にすると、大らかな気持ちになる。




 旅館の夕食は美味しかった。それが目当てだった家内は喜んだ。私の方は、地酒の利き酒セットを楽しんだ。

 翌日の予定は決めていなかった。旅館でゴロゴロしながら、計画を立てた。柏崎の原発(柏崎刈羽原子力発電所)を見に行くことを思いつき、家内に提案したら、以前はそんなもの見たくないと言ってたのに、今回はすんなりと同意した。

 宿を出て、海沿いの道を北上する。次第に原発の鉄骨タワー群が近づいて来る。しかし、原発敷地の縁を回る道路にさしかかっても、道路際の林が邪魔をして、施設は全く見えなかった。それで、ガッカリした。こうなったら、少し遠くに離れて見るしかないと思った。

 突然、見学センターのような建物が現れた。こういうものは、外観の雰囲気で、だいたいそれと分かるものである。そちらへの道を曲がって入ったら、サービス・ホールと書いてあった。見学者は、受付のカウンターで手続きをする。その時、受付嬢から思いがけない話を聞いた。30分後に、原発施設内の見学車が出るので、よろしければご利用下さいというのである。せっかくここまで来たのである。利用しない手は無い。

 見学へ出る前に、映画館みたいな部屋で15分ほど説明を受けた。客席にいたのは私と家内だけだった。それから車に乗った。バスかと思ったら、普通車だった。見学者が二人だけなので、これでも問題は無いし、無駄な費用を削減するという意味もあるだろう。若い女性が運転をし、説明をする。これはソフトムードを演出するのに効果的だ。

 敷地入口のゲートでチェックを受け、構内に入る。すぐに、原子炉建屋などの施設が目の前に現れた。写真撮影は、禁止されている。理由は、核物質取扱い上の安全のため、とか。何の事か分からない理由であるが、一般的にどこの工場、プラントでも写真撮影は禁止であるから、仕方ないだろう。

 建物の中には入らない。屋外を走る車の中からの見学であり、車から出る事も無い。それでも、滅多に見る機会が無い原発施設を目の当たりにすると、インパクトがあった。目前に展開するのは、世界最大の出力を持つ原子力発電所である。

 見学の意図は、福島の事故の後に実施されている津波対策の説明だと感じられた。原発を持ち上げるような説明は、一切なかった。目玉は、高さ10メートルの防潮堤だった。海側の場所から見ると、刑務所の壁のように見えた。その他、電源車、注水車、非常用ガスタービン発電機、貯水池などを見て回った。

 福島の事故で一躍有名になった、免震重要棟があった。この施設は、以前は無かったが、中越沖地震の際に事務棟が被害を受けて使用できなくなり、屋外に対策本部を設けたという反省から、その後建設されたとのこと。この経緯から、福島第一発電所にも免震重要棟が設けられ、3.11の際には大いに役立ったという説明だった。地震に対する備えにも、甘さがあったということか。

 この原発は、2、3、4号機が中越沖地震以降、その他の号機も現在停止中である。この巨大な施設は、現在1Wも発電をしていない。にもかかわらず、東電社員と協力企業を合わせて、5000人近い従業員が働いている。その上、津波対策の大工事が行われている。大変な赤字状況が続いていると思われる。敷地内の雰囲気が、どことなくさびれて、荒んでいるように感じられたのは、気のせいか。

 私は元プラント・エンジニアだったので、火力発電所に立ち入り、内部まで見させて貰ったことがある。その時目にした物と比べると、原発施設はコンパクトでクリーンな印象だった。火力発電所だったら、総計820万KWの施設が、この程度の規模で成立するとは思えない。燃料備蓄関係の設備が要らないので、明らかにコンパクトである。また、燃焼排ガスを放出する煙突は無いし、排ガスを処理する設備も無い。極めてクリーンなプラントだと言える。この設備で、何の問題も無く発電がおこなえれば、まさに理想的な事だと思う。立派な外見から判断する限りでは、それは確実に実現しているかのように見える。しかし、そうでなかったのは、福島の事故が証明した。

 帰路は、十日町へ抜け、117号線を通って帰った。新しい車、ダイハツ・タントは、とても快適な乗り心地だった。もはや軽四輪だといってバカにすることは出来ない。燃費も格段に良く、390キロ走って、平均24Km/lの値だった。

 


ーーー10/15−−− 白玉の・・・


 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり

 この歌が相応しい季節になった。先日新聞のコラムに、この歌の作者である若山牧水の事が書いてあった。たいへんな酒飲みだったそうである。朝二合、昼二合、夜六合の計一升が毎日の定量で、さらにいろいろ理由を付けて飲み足したと言うから、尋常な酒量ではない。

 私の父も酒好きだった。朝と昼は主にビールだが、夜はそれにウイスキーや日本酒を加えた。八十歳を越えても、一晩に五合の日本酒も、珍しい事ではなかった。ビールは一日に一パック(6缶)のペースだったから、部屋の中は常に空き缶の山だった。最後に脳卒中で倒れ、入院している時も、聞き取れないような声で孫に言った、「缶ビールを買ってきてくれ、一番小さいので良いから・・・」

 銀座で商店をやっていた父の父も、呑み助だったそうである。朝早く起きて、家族のために飯を炊くのが日課だったが、その際に釜の縁にチロリをかけて燗を付け、一杯やるのが一日の始まり。昼は鉄火巻きをつまみながら飲む。夜は家では飲まず、使用人を連れて町の飲み屋に繰り出す。これが毎日の決まったパターンだったとのこと。

 このように、朝昼晩つまり一日中酒を飲む人は、仕事などからの制約が無いところでは、けっこういるもよう。掛かり付けの鍼灸の先生から聞いた話では、出身地にやはり酒豪がいて、朝、昼で五合くらい飲み、夜はまた一升ほどやっつけていたと。その男が若い者に向かって言った口癖が「夜中の零時を過ぎたら、飲んじゃいかん。翌朝残るから」だったというから、滑稽である。

 誰でも知っているポップス・シンガー。若いころから活躍し、今では50歳を少し越えたくらい。アーチストを自称し、それなりにカッコイイと言われてきた男。それが、ちょっと前にラジオのトーク番組で、「仕事がオフの日は、朝から酒が飲みたくてたまらない。それを誤魔化して、なんとか昼過ぎまで持って行くのが大変な努力なんです」と言っていた。ちょっと意外だった。おしゃれなアーチストが、実は朝から酒を飲みたがるおじさんだったとは。

 酒が入ると、人は普段と違った面を見せる。以前勤めていた会社の友人で、社員の頂点まで上り詰めた男がいる。言動にとかく激しい部分があり、部下の社員からは恐れられていた存在。その男も酒好きである。普段は控えめにしていて、自宅に酒をキープしないなど、酒量を制限する工夫をしているそうだ。しかし、私の家へ遊びに来た時などは、屈託なく飲む。その最初の一杯を飲んだ瞬間から、人が変わったように見える。急に表情が緩んで、明るく、楽しそうになるのだ。まだ酔う前、酒が回る前に、まさに即効性の変化である。「あれは少し異常ではないか」と家内に問うたら、「あら、あなたも同じよ」だと。

  元上司で、だいぶ前に定年退職をした人と、久しぶりに会った。「最近は如何過ごされてますか?」と聞いたら、「夕方になって酒を飲むことだけが楽しみな毎日さ」と言っていた。やはり、仕事など、飲酒を控える条件が無ければ、昼からでも飲みたくなる。しかも、酒量はだんだん増えていく。そう言えば、父は若い頃、酒を飲まなかったそうである。それが老後は、自称「奈良漬け」のような状態だった。

 話はずれるが、東欧のある国に出張していた男から聞いた話。その国の企業の事務所で、一緒に働いていた現地の従業員は、エンジニアという職種であってもひどい。事務机の引出しにはブランデーのボトルがキープしてあり、朝出勤してくるとまず一杯。そして、仕事をしながら、グラスに注いでグビグビ飲る。そんな調子だから、昼ごろには完全に出来上がってしまう。「そんなことで、仕事の方は大丈夫なのかね?」と訊ねたら、「もちろん全然仕事にならないさ、ベロベロに酔っぱらっているんだから・・・」

 上の話は極端だが、欧米は飲酒に対して大らかな部分がある。会社勤めをしていた頃、フランスの大手メーカーのパリ事務所に滞在したことがある。昼食は社員食堂でとる。セルフサービスで、カウンターから料理を取り、お盆に載せて、会計に進むという、よくある形。ただし日本国内のそれと大きく違うのは、カウンターの最後の方に、ワインのボトルが山積みになっている。そこからヒョイと一本取ってお盆に載せる。食堂のテーブルの間に、栓抜きを備えた台がある。そこでポンと抜いて、昼食をとりながらワイングラスを傾ける。そんな光景が、そこここで見かけられた。

 ドイツの重機械メーカーの工場を見学した時。昼食時に社員食堂へ通されると、作業員たちがビールを飲んでいた。ホワイトカラーというか、管理職用のレストランは、別の部屋になっていて、雰囲気もちょっと豪華だった。そこに招かれ、来客待遇で食事をとった。「社員食堂で酒が出るというのは、日本ではありえません。おおらかですね」と言うと、「作業員の食堂はビールだけです。このレストランにはワインもありますが」と、ワインで赤ら顔になった管理職が説明した。

 ゲーリークーパーが活躍した頃のアメリカ映画を観ると、しょっちゅう酒が出てくる。ホテルの部屋に来客を迎えると、昼間でもまず一杯勧める。相手も応じる。部屋のバーからウイスキーの瓶を取り出し、グラスに注いで乾杯、という進行。一杯飲まなきゃ始まらないという感じ。ちょっと注意をして観れば、そのようなシーンはそこらじゅうにあった。酒に対する垣根がだいぶ低くなってきたわが国。昼休みにOLがランチしながらビールを飲むという光景も普通だそうだが、それでも、昼間からウイスキーで乾杯は無いだろう。

 さて、飲んでいるわけでもないのに、フワフワとした気分になり、だいぶ話が横道にそれた。元々何を述べたくて書き始めたのか、忘れてしまった。

 


ーーー10/22−−− 聖書を読む


 最近、自分の中で、キリスト教に対する関心が高まっている。キリスト教に関連した大河ドラマを観ているせいではない。関心は、若い頃からあった。西洋の音楽や絵画などの芸術、文学や映画などに触れていれば、キリスト教に関心を持つのは自然な流れである。しかし、宗教として強く引かれるようになったのは、昨年辺りからのこと。

 この国の現状には、たいへんな不安を抱かざるを得ない。拝金主義が主流を占め、能率・効率のためには弱者を切り捨て、人間性を貶める。いじめ、自殺は子供から大人まで日常化している。政治は、本来あるべき機能を有しているだろうか。広く社会に、平等に役立っているだろうか。一部の勢力が金を吸い上げるための道具に堕していないだろうか。日々の生活に幸せを感じている人が、どれくらいの割合でいるだろう。身近なところで言えば、町を歩く人々に、笑顔を見ることがあるだろうか。人々の表情は、まるで何かを奪われはしないかと、警戒心に苛まれているようだ。

 翻って、自分自身にも不安を抱く。加齢とともに、頭が固くなってきた。社会の状況、あるいは他人の言動、行動などの、些細な事にことさら腹を立てたり、批判をしたりするようになってきた。時おりそのことに気が付き、自分は何のために生きているのだろうと自問する。愚かな行為を繰り返すために、残りの人生を費やさなければならないのか。

 我が家は、神道である。とは言っても、葬式は神式で行い、彼岸やお盆の行事には無関係というだけのこと。仏教の信徒は、檀家としての義務があり、お布施の費用も負担する。神道にはそれが無い、つまり経済的に圧迫されないというメリットがある。しかし、それ以上の利点は無い。神社の神殿に向かい、柏手を打って頭を垂れ、手を合わせるが、祈るのは家内安全とか交通安全などの世俗的な御利益。心を救い、正しい道に導く教えに接した記憶は無い。

 キリスト教の最も重要な教義は、神への愛と、隣人愛だそうである。この隣人愛というもの、見知らぬ他人への愛ということだが、これを教義にしている宗教は、私が知る限り他に無い。この一点に、私は強い関心を抱いた。

 偶然であるが、東京に住んでいる息子も、この夏からキリスト教に係わり始めた。聖書を読む会に誘われ、何度か参加したそうである。とても穏やかな、優しい人たちが集う会で、心が和んだという。また、聖書に関して深く勉強をしていて、理科系の学生の信者は、ニュートンの運動方程式が全ての現象を説明するように、聖書はすべての事を理解に導くと言ったそうである。その集団は、後日カルト教団ということが判明し、息子は縁を切ったらしいが、彼の信仰へのさらなる模索は続いているようだ。

 先日、聖書を購入した。いままで、ホテルのベッドの枕元に見たことはあったが、自分で手に入れたのは初めてである。ページをパラパラとめくり、ちょっと目を通してみた。分かり易い文章と、難解な文章が入り混じっていて、単純明快な書物ではないという印象を受けた。その難解な記述にも、深い意味があるらしい。それは二千年近くの歳月を重ねて、研究され続けてきたという。

 この先、信仰の領域に達するかどうかは分からない。60年間宗教と無縁だった者にとっては、信仰と言う未知の世界には、容易に踏み込めない怖さを感じる。とりあえず聖書を読み、その内容を理解することから始めよう。ネットで検索すれば、聖書の解釈や説明はいろいろ見つかる。実は、そういうのはあまり薦められない事らしい。本当は、聖書を研究している人から直に話を聞くのが良いそうである。しかし、今のところ周囲にそのような人は居ないから、自分が出来る事をやるしかない。




ーーー10/29−−− 椅子張り屋のサービス


 
椅子のクッション張りは、松本の業者に頼んでいる。ご家族でやっている工房で、大旦那とその息子さんたちが、大部屋の床の上でレザーを切ったり、カッチャン、カッチャンという音をさせながら張り付けている。

 部屋の隅には子供のおもちゃが転がっており、時々子供の姿を見ることもある。お茶の時間には、大旦那の奥さんがお茶を運んでくる。お茶のお盆を乗せた小テーブルを囲み、出入りの業者などを交えて、一同が談笑する。そこに子供が混じって、「おひとつどうぞ」などと客人に茶菓子を差し出したりする。それを見て大人たちが笑う。なんとも家庭的な雰囲気である。

 ちょっと遠いのが難である。片道一時間ほどかかる。その時間を費用に換算すれば、宅急便で送った方がよっぽど安い。ところがこういうものは、面と向かって依頼をし、また製品を受け取るという事が、確実な仕事に繋がるように思う。それでつい、たった一枚でも、車に積んで出かけて行く。

 その張り屋さんの入り口を開けて入ると、すぐ脇に小型の冷蔵庫がある。その中には栄養ドリンクのビンがぎっしりと詰まっていて、来客が来ると一本取り出して差し出す。冷蔵庫の隣りには空き箱が二つあり、一つには空きビンを、もう一つには金属のキャップを捨てるようになっている。

 これはなかなか気の利いたもてなしである。仕事で来た者にとっては、ちょっとした貰い物でも嬉しいものである。しかもそれが、ウーロン茶などの単なる飲料では無く、なんとなく健康を気遣ってくれている感じが良い。夏の暑い日など、この一本でホッと一息つくこともある。

 その真似をしているわけでもないが、我が家でもドリンク剤を準備している。私もたまには飲むが、それとは別に、宅配便のお兄さんなどに渡すことがある。暑くて大変そうな日、見るからに疲れていそうな時、あるいは遅い時間に無理を言って来てもらった時などに渡す。そうすると、嬉しそうに受け取ってくれる。こんな事をする家は、あまり無いのかも知れない。癒し効果は十分にありそうだ。

 




 



→Topへもどる